中野孝行監督(帝京大駅伝部)の経歴や選手実業団時代の実績!箱根駅伝中野マジックとは何?

令和初の箱根駅伝までいよいよあとわずかとなりましたね・・!

戦国駅伝となった今季の大学駅伝、優勝するのはどの大学なのでしょうか?

箱根駅伝常連校のひとつとえいば、「ファイアーレッド」と呼ばれる真っ赤なユニフォームが特徴!

もう、ダークホースとは言わせない雰囲気が漂っていますよね!

そんな帝京大学を率いる中野孝行監督は、情熱と愛情に満ちた 「中野マジック」という選手育成法でも知られています。

どんな経歴をお持ちなのでしょうか?

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中野孝行監督(帝京大学駅伝部)のプロフィール

中野 孝行(なかの・たかゆき)

帝京大学駅伝競走部 監督

チーム指導年数14年目

1963年8月28日生まれ。

56歳

北海道白糠町出身。

北海道白糠町はスケートが盛んな土地だそうです。

帝京大学スポーツ医科学センター専任講師。

白糠高校卒業後、国士舘大学へ進学。箱根駅伝には4回出場。

卒業後は実業団の雪印乳業に進み、選手として活躍。

引退後は95年3月から98年まで三田工業女子陸上競技部コーチを務める。

特別支援学校の教員を経て、99年8月から2003年にNEC陸上競技部コーチ。

05年11月に帝京大学経済学部経済学科専任講師就任と同時に、駅伝競走部監督に。08年より12年連続でチームを箱根駅伝に導いている。

2019年大会では総合5位。

特に復路では青山学院大、東海大に続いて3位という成績を収めています。

中野孝行監督(帝京大学)の選手時代の実績は?

中野監督は北海道白糠町出身、北海道白糠高校を卒業後、国士舘大学に進んでいます。

国士舘大学では4年連続で箱根駅伝を走っており、

1年時から10区で区間8位に入ると、

2年時は2区に出走しますが区間16位、

3年時は4区に出走すると区間3位の成績を納めると、

4年時は再びエース区間の2区に出走し区間8位の走りでシード権獲得に貢献しました。

中野孝行監督(帝京大学)の実業団時代の実績は?

国士舘大学を卒業した中野監督、実業団の雪印乳業に入社しました。

他の実業団からも声が掛かっていたそうですが、当時新興チームだった雪印乳業に入る事を諦めきれず、自ら手紙を送って入部したそうです。

雪印乳業では10年間競技を続けた後に引退しました。

中野孝行監督(帝京大学)の指導者としての実績は?

引退後は1995年から大阪の実業団女子・三田工業のコーチに就任し、指導者としてのキャリアをスタートさせました。

しかしその3年後の1998年の夏に三田工業が倒産してしまい、部員と共に解雇となってしまいます。

大阪から実業団時代に過ごした千葉県に戻った中野監督、

再就職先がなかなか見つからない中で船橋市の臨時職員に応募し、特別支援学級の職員として採用されました。

失業中や臨時職員として働いていた期間にも陸上大会に足を運ぶなどしていた中野監督、

実業団NECのコーチに就任すると、2005年から帝京大学の経済学部経済学科専任講師・駅伝部監督に就任します。

高校時代にあまり目立った成績を残していない選手が多い帝京大学で、そういった選手をリクルートし、

4年間で箱根上位ランナーに育てる手法は「中野マジック」と呼ばれ賞賛されています。

中野監督のリクルーティング戦略は、「ニッチを探す」というもの、

重視される5000mの記録に関しては「地域格差」があり、鵜呑みにしないそうです。

選手の持ちタイムよりも、惜しいところで負けていたり、ウォームアップ、ダウンの様子を観察し、選手を帝京大学に勧誘しているとのこと。

選抜合宿メンバーにあと一歩で選ばれなかった数人の選手たちは、

毎年、現地(群馬県万座温泉)の温泉旅館でアルバイトとして、約1カ月間、布団の上げ下ろしや食事の配膳(はいぜん)をしながら、

選抜メンバーとは別メニューで練習するという他大学では考えられないようなことをしていたりもします・・!

選手たちに競技だけではなく、社会に出てからも恥ずかしくない人間になってほしい、という思いを持っていらっしゃるそうです。

中野監督はアルバイトの選手たちのために、朝4時に起き、雨の中、20キロメートル走を車で伴走したりもすることも・・

また、現在の指導には特別支援学級の職員時代の経験が活きているそうで、

生徒がやってみたいと思う事をどんどんやらせ、仮に失敗したとしてもそこで自分で考えることによって成長するという、自主性を重んじた指導を行っており、

チームは中野監督の就任3年後の2008年からは12年連続で箱根駅伝に出場、

昨季は三大駅伝全てにおいて5位入賞を果たすなど、大学駅伝の上位常連チームと成長しました。

中野孝行監督(帝京大駅伝部)の経歴や選手実業団時代の実績!箱根駅伝中野マジックとは何?まとめ

北海道白糠町出身の帝京大学中野孝行監督。

自身の大学時代は4年連続で箱根駅伝に出走し、卒業後は実業団・雪印乳業で競技を10年間続けました。

引退後は実業団女子のコーチに就任しますが、会社の倒産により失業してしまいます。

雪印乳業時代に住んでいた千葉県に戻った中野監督、

船橋市の臨時職員に応募し、特別支援学級の職員からNECのコーチを経て、2005年に帝京大学の駅伝部監督に就任します。

帝京大学では「中野マジック」と称される、雑草軍団を4年間で箱根上位ランナーに育てあげる指導によりチームはどんどん力をつけ、12年連続で箱根駅伝に出場、

2013年には帝京大学史上トップタイの総合4位入賞、昨季は三大駅伝全てにおいて5位入賞を果たすなど、上位常連校と成長しました。

2019年箱根駅伝では復路3位で総合5位と復路に強く、エース区間2区で遅れても他の区間で取り返し、

中野監督が「日本一諦めの悪いチームにしたい」と語る帝京大学。

戦国駅伝と呼ばれる今年の箱根駅伝ではどんなレースを見せてくれるのでしょうか?

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